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AHP患者さんの声 AHP私の場合

Aさん(50代 女性)
A
さん(50代 女性)

病気の発症から診断まで約30年を要し、今では歩くことすら困難に大変な日々が続くが、少しでも自分らしく前向きに過ごそうとする日々

紹介する内容は、患者さんへの取材に基づいたものですが、すべてのAHP患者さんで同様の経過を示すわけではありません。

学生の頃から激しい腰痛や腹痛がたびたびあらわれるようになり、長年その原因がわからないままでした。「急性肝性ポルフィリン症(AHP)」と診断されるまでに要した期間は30年以上。学生時代から、結婚、子育て、就職を経て現在に至るまで、つらい症状を抱えながら大変な日々を過ごされてきました。病名が明らかになっても、治らない病気であることを知り、簡単にポジティブな気持ちにはなれませんでした。それでも最近では、ゆっくり、マイペースでやれることをやっていこうと、少しでも自分らしく前向きな気持ちで日常生活を送られています。

acute hepatic porphyria

Aさんのペイシェントジャーニー

学生の頃から激しい腰痛や腹痛に悩まされ、その原因はわからないままでした

突然激しい腹痛に襲われるAさんのイメージ

大学に入学し、学生生活を送っていたところ、突然激しい腰痛と腹痛に襲われました。それは一度ではなく、その後何度も繰り返し起こり、学業を含む日常生活だけでなく、歩くことさえ困難な時もありました。その痛みは、お腹と腰を下から尖ったもので握りつぶされるような感じで、尋常なものではありません。

近医の整形外科で診てもらったところ、「原因不明の腰痛症」と言われ、不安な気持ちを抱えたままコルセットをつけて生活していました。

それでも症状は良くならず、次は「慢性虫垂炎」が疑われ、20歳の時に開腹手術をすることになりました。しかし虫垂に異常は見つからず、当然、その後も体調は良くなりませんでした。そして、悩まされていた症状の原因は不明のまま試行錯誤の治療が続き、自分が思い描いていた明るく楽しい学生生活とはかけ離れた日々を送っていました。

その後結婚をして家庭に入ったことで、不安な気持ちは少しやわらぎました。しかし、25歳の時、第2子(娘)を妊娠中に「高アンモニウム血症」を発症して緊急の帝王切開をすることになり、大量出血をして生死をさまよう経験をしました。幸いに娘の命も助かりましたが、母子ともに虚弱であったため、このような状態の自分がしっかり育てていけるのか、とても不安だったことを覚えています。

子どもがまだ小さかった頃は、つき添いの遠足や運動会などの屋外で行うイベントの時に倒れてしまったこともあり、周りの方々に迷惑をかけてしまうこともたびたびありました。

就職後、過労や精神的ストレスからうつ病を発症、歩行困難にもなり車椅子生活になりました

子育てと仕事の両立が大変でとてもつらいAさんのイメージ

就職して仕事をするようになると、職場で激しい腹痛が起きて救急車で病院へ搬送されることもありました。また、検査のために職場で仕事の合間に1日かけて蓄尿をして、それを病院に持っていくこともあり、病気の苦しさとは別のつらさも経験しました。

そうした中、今から10数年前の40代前半に、消化器内科で「ポルフィリン症の疑いがある」と言われ、激しい腹痛が起こった時は病院でブドウ糖の点滴を受け、また、飲み薬を定期的に服用するようになりました。自分でも病気のことを調べようとインターネットで「ポルフィリン症」を検索したところ、医師には参考になりそうなサイトがあり、そこで腹痛を起こす病気だということはわかりましたが、腹痛に苦しんでいる人がどのように対処すればいいのかなど、患者目線での情報が出ているサイトはありませんでした。

「ポルフィリン症疑い」のまま治療を続け、体調が依然として良くならない中、40代後半には、仕事による過労や精神的ストレスも重なったせいか、たびたび起こる激しい腰痛や腹痛だけでなく、うつ病も発症しました。あの頃は、いつ起こるかわからない激しい痛みへの恐怖を抱きながら、うつ病というさらなる苦痛も加わり、子育て・家事と生活のための仕事を両立させるのが大変でとてもつらい時期でした。肉体的にも精神的にも限界で、ついには歩行も困難となり、車椅子生活を余儀なくされることになりました。

つらい症状があらわれてから約30年経って病名が判明しました

つらい症状があらわれてから約30年経って「遺伝性コプロポルフィリン症」と判明したAさんのイメージ

少しずつ病状が悪化してきた中、50代に入ってから、ポルフィリン症の確定診断のための遺伝子検査を行うことになりました。結果は「遺伝性コプロポルフィリン症」。急性肝性ポルフィリン症(AHP)のいくつかあるタイプの中の1つであることがわかりました。学生時代から苦しめられてきた症状の原因がこの時やっとわかったのです。

遺伝性コプロポルフィリン症は、光線過敏症という皮膚症状がみられることがあるタイプです。以前、子どもの遠足や運動会で体調が悪くなったのは、屋外で日光にあたったせいだったのかと、この時納得できました。その一方で、この病気は遺伝子の変異が原因で起こる遺伝性の病気で、完全に治らないことを知り、なかなか前向きな気持ちにはなれませんでした。確定診断を受けた後も定期的に通院して投薬や検査を受けています。最近は以前と比べて急な症状が起こる頻度は減ってきていますが、決め手となる治療法が未だになく、つらい日々は続いたままです。

今は「急性肝性ポルフィリン症(AHP)」が周知されることを願いつつ、少しでも前向きな気持ちで日々を過ごしています

少しでも前向きに日々を過ごしているAさんのイメージ

私と同じ様に、病名がはっきりしないまま、激しい腰痛や腹痛、うつ病などに長い間苦しんでいる方が他にもいると思います。しかし、この病気はほとんど知られておらず、インターネットでも満足できる情報は入手できません。よって、同じ悩みや不安をもつ方が集まって情報交換できる場があったり、この病気が周知され、病院で我慢できないほどの激しい腹痛を訴えている患者を診る時に、その原因の1つとして「急性肝性ポルフィリン症(AHP)」を疑っていただけるような診療体制が整ったりすれば、救われる患者さんは必ずいると思います。

私は以前、趣味で子どもの服を作ったり、パンなどを作ったりしていました。しかし、手のしびれがひどくなり、車椅子生活にもなったことを機にすべて諦めてやめてしまいました。でも、もともと何かを作ることが好きだったので、何もしないでいると、逆にイライラしたり、何かをしたくてしょうがなくなるものです。娘からは「こんなのお母さんらしくない」と言われたこともあり、今では、好きだった縫い物を再びやってみようと、簡単なレザークラフトをするようになりました。他のことを忘れて夢中になれますし、形のあるものが出来上がった時の達成感はやはりいいものです。体が自由に動かなくなってふさぎ込んでいた時期もありましたが、今では、体調が悪くてつらい時は横になればいい、体調が良い時に自分のできる範囲のことをマイペースでやってみようと、「この病気には負けない」という気持ちだけは持ち続け、少しでも前向きに日々を過ごしています。

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